2008年1月18日金曜日

百万ドルの脚線美

昔、僕がまだ幼稚園に行っていた頃なのですが百万ドルの脚線美といわれた歌手がいました。

朱里エイコさんです。



レズ疑惑で芸能界をほされた相良直美さんがまちゃあきと司会をしていますね。





1964年11月、日本人の海外渡航自由化の年に単身渡米。ボブ・アルシルバーに師事、ラスベガスを中心に舞台にも出演。
1966年9月、帰国。
1968年、2度目の単身渡米。ラスベガスのショービズに身を投じる。
1970年1月、ラスベガスでのショーが大成功をおさめる。
1970年2月、Eiko Shuri and her bandとして「サハラ・ホテル」で2か月のロングラン。
1971年2月、帰国、その後ワーナーパイオニアと契約。
1972年12月31日、『北国行きで』で第23回NHK紅白歌合戦に初出場。
1973年12月31日、『ジェット最終便』で第24回NHK紅白歌合戦に出場。
1975年、マネジャー渥美隆郎と結婚。
1975年3月28日、渡米。
1975年4月1日、半年の全米ワンマンツアー開始。
1975年10月、タワー・オブ・パワーとのレコーディング。(シングル『愛のめざめ I'm Not A Little Girl Anymore』)
1976年10月27日、帰国。
1978年、離婚。
1979年12月10日、初のベストアルバム発売、ワーナーとの契約終了。
2004年7月31日、虚血性心不全のため自宅にて死去、享年56。



一時期は肝臓の病でぶくぶくに太っていましたが、あの人は今! に出てからプチブレイクしてたんですけど、お亡くなりあそばされました。

脚線美が有名(顔はそれほどでもない?)で100万ドルの保険をかけていたとうわさされていました。

惜しい人を亡くしました。

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