今回は私が嫌いなチョコレートの話題です。
ジャン=ポール・エヴァン
プロフィール
ジャン=ポール・エヴァンは、キャリアを最初にスタートしたホテルインターコンチネンタルでパティシエをつとめました。そして、1976年から1988年までホテル・ニッコー・ド・パリにおいて、ジョエル・ロブション氏の下で修行を重ねましたが、それはクリエイティブで発見の多い数年間でした。
幸運にもジャン=ポール・エヴァンは、日本に上陸してまだ数年しかたっていないフランスの有名なパティスリー「ペルティエ」に招かれ、1年半ほど東京でシェフ パティシエを務めました。 この恵まれた機会があったからこそ、しいては日本に最初のビジネス拠点を確立するチャンスとなり、日本はエヴァンにとって重要なホームベースとなり、また同時にお気に入りの国となりました。
センスあふれる審美眼を持ち、一流のパティシエでもあるエヴァンは、生まれながらにして決して裏切ることのない研ぎ澄まされた味覚に恵まれました。最高の食材、最高のワイン、最高のシガーなど本能的に察知して選んでいますが、彼の天職でもあるショコラの素材についても同様に、最高の素材を選び抜いています。1986年にフランスでMOF(最優秀職人章)を叙勲して以来、研究熱心な職人肌のエヴァンは、全ての時間をフラッグシップ作品であるショコラ作りの試作と構想に費やし続けてきました。こうして、エヴァンのブティックで並べられているショコラは、宝石のように繊細で格別なものに出来上がったのです。
1988年に初店舗‘ル・プティ・ブレ’をパリ7区、アベニュー・ドゥ・ラ・モット・ピケ16番地にオープン。
1990年に2店舗目をパリ6区、リュ・ヴァヴァン3番地にオープン。
1997年、豊富な種類とバラエティを誇り、ショコラに捧げられたと言っても過言ではない3店舗目をパリ1区、リュ・サントノーレ 231番地にオープン。2階にはショコラのメニューが充実したサロン・ド・テがあります。
2002年6月には、店舗を拡大し、新しい世界を打ち出しました。‘ル・プティ・ブレ'はパリ7区のアベニュー・ドゥ・ラ・モット・ピケ 23番地ビスに移転しました。
ジャン=ポール・エヴァンの商品は日本に空輸されています。そして、東京、広島、福岡、小倉の各都市のハイセンスで、美味しいものが立ち並ぶ一等地にジャン=ポール・エヴァンブランドは出店しており、そこではショコラ尽くしのカーヴとバーがあります。それは真の偉大なるプレミアです。
すごく高いにもかかわらずイートインコーナーなどは女性(30過ぎ)でいつも混んでいるそうです。
空輸で運ばれてくるチョコって、、、。 マカロンだったら食べてあげてもいいかも。
でも、それほど興味はありません。(といいつつ近くのPAULに行っちゃうかも)
2 件のコメント:
ジャンポール・エヴァンは小倉伊勢丹が出来た年に1度だけ職場の義理チョコで貰いました。正直不味くはないけれど美味しいのかどうかはよく分からなかったですね。このチョコ高かったよとくれた人は言ってましたけど。(笑)
いつもコメントありがとうございます。 こういう高級チョコって人にあげるための需要ですからね。 もらったら自慢しちゃうかもしれません。
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